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 PLANET PRESS



ブラジルのジョインヴィレというチームで現在プレーする、元ベガルタ仙台のFW、
マルコス・パウロに伺いました。
           


マルコス・パウロ from BRAZIL
 (05.12.27) 

- ベガルタを去ってからしばらく経ちました。是非近況を教えてください。

おかげ様で元気にやっています。一年前に膝の手術を受けましたがほぼ回復しました。今現在はリオグランジ・ド・スール州2部リーグに属するジョインビレ(Joinville)というチームでプレシーズンマッチに出場しています。来季の契約はまだ更新していませんが来年1月から始まる州リーグのためにチームの練習に参加しています。今は国内か、海外からのオファーを待っている感じですね。仙台に所属していたときに怪我をしたこと、そしてそれが原因で去ることになったのは本当につらかったです。今じゃもうあの時の明るい、ゴールを常に狙うマルコスですよ!

- 仙台でプレーしていたときのお話を聞かせてください。どの試合が一番印象に残っていますか?
 
  J2にいた時の試合では京都戦が印象に残っていますね。(2001年4月8日3-2) あの試合では3ゴールを決めてハットトリックをしました。あの試合あたりから日本のサッカーとJ2のスタイルになじめるようになったのではないかと思っています。 
  J1では鹿島との試合が印象に残っています。(2002年4月6日0-2)あの試合ではアウェーで2ゴール決めて勝ちました。アウェーで強敵に勝った喜びは忘れられませんね。

- 苦手だった相手選手や対戦チームなどありましたか?
 
  いや、特にそういうのは無かったですね。みんないい人でしたし。当時一緒にプレーしたテル(岩本輝選手)は仲良くしてくれていましたね。彼はプレーヤーとしても人としても素晴らしいものをもっていたと思います。

- 来日してすぐの頃は新しい生活環境、習慣、サッカースタイルの違いなどに慣れるのに苦労しませんでしたか?
 
  えぇ、まあ大変といえば大変でしたが比較的慣れるのには早かった方だと思っていました。チームメイトやスタッフがすごくいろいろと支えてくれましたし、仙台のファンの皆さんも自分をまるで彼らの子供のように受け入れてくれたのが、とても有り難かったですよ。懐かしいなぁ・・・

-ベガルタのファンの皆さんへ是非メッセージをお願いします。
 
  僕も、家族も仙台が懐かしくて仕方がありません!!僕たちは仙台を離れてもベガルタを応援しています!今年はあと一歩のところで入れ替え戦には進めなかったみたいで残念でしたが、来年こそはJ1へ上がれるよう遠くから見守っています!!
  皆さんに神の御加護がありますように。 素敵な新年をお迎え下さい。

 


 

 

ブラジルでプロのサッカー選手になるという夢を成し遂げ、そして今も歩みつづけているいわば海外組の一人、富樫英輝さんにブラジルサッカーなどについて伺いました。           

富樫 英輝さん from BRAZIL
 (05.10.04 

- サッカーとの出会いを教えてください。始めたのはいつ頃ですか?
  小学校3年です。
-そのきっかけはどういったものだったのでしょうか?
 埼玉県浦和の針ケ谷サッカー少年団です。最初、野球をやりたかったのですが母親から手が不器用なのを指摘され「大きいボールにしなさい」と言われました。この一言でサッカー少年団に入りました。今では感謝しています。
- 子供の頃のサッカーに対する想いはどういったものだったのでしょうか?やはりプロになりたかったですか?
 そうですね。日本にプロもないのに漠然とプロになると思ってました。
- 憧れの選手は誰でしたか?
 トヨタカップを見たことと、プレースタイルなどからプラティニが好きでした。トヨタカップの時のシュートは
忘れられないですね。
- ブラジルへ渡ることを決めた理由はなんだったのでしょうか?不安などありませんでしたか?
 物心ついた頃からブラジルに行ってプロになると思ってました。あの頃サッカーといえばブラジルという事しか頭になかったですし、個人技=個人的にうまくなる、そのため
にはブラジルかなと考えていました。今思えば‘子供の考え‘と思ってしまいますが、その当時は毎日真剣に考えていた記憶があります。そしてあまりにも「行きたい!」という意欲が強過ぎて、直前まで不安すら感じなかったですね。
- ブラジルに渡ってから今までの経歴を教えてください。
 1993年にブラジルに来て、コメルシアゥECのジュニアのテストを受けに来てから渡ったチームを数えれば10数チームにもなります。最初にプロ契約を結んだのはゴイアス州のゴイアニアECです。その後、スーマットグロッソ州のコメルシアゥEC、サ
ンカエターノ(上写真)などと契約してきました。去年はポルトガルに行く機会にも恵まれましたが、膝の手術のため只今リハビリ中です。
-
プレイヤーとしての視点から見る「ブラジルサッカーと日本のサッカーの違い」はどんなところにあるのでしょうか?
 みなさんもわかっているかと思いますが日本は組織を重視しますよね、ブラジルは個人的な能力に頼った戦い方をします。それは国柄、国民柄から来てるという事も言えるのではないでしょうか。
- 国民のサッカーに対する想いはものすごいと思いますが、英輝さんはどのようなときにそう感じますか??
 そうですね。底辺が違います。道を歩けば普通に働いてる人達が前の日の試合についての意見をぶつけ合っています。大きな試合がある時など、ブラジルのどこにいても点が入るごとに花火が上がり、試合を見ていなくてもいつ点が入ったか分かるぐらいです。
- ブラジルを含め、南米のサッカー環境は厳しいとよく表現されます。実際にブラジルでプレーされている英輝さんはどのようなときにそう感じましたか??
 まずは人種的な問題、日本人であるがために最初全くボールが回ってこなかったこと。生活については寮に住んでいた頃に身体を横にしないと通れないような二段ベットの部屋に押し込まれたり、食事がご飯と卵しかないような事が頻繁にありました。これらの事でハングリー精神、日本がいかに恵まれているか、親の大切さ、その中で生きていく術、いろいろ学びました。全てが自分の財産です。

-今後の展望などをお聞かせください。
 今はリハビリ中ですのでとりあえずの目標は来季までに復帰する事。今までよりも少しでもレベルの高い所で試合に出ることです。そして僕のプレーを見てくれた人が、また見たくなるような選手になる事です。
 怪我から復帰したらまた活躍できるよう頑張りますので応援宜しく御願いします。

(英輝さんのオフィシャルサイトはサーバー移行にともない工事中だそうですが、完了次第こちらでもお知らせ致します)

 今回のプラネットプレスでは、日本で最も有名なスポーツフォトエージェンシーのひとつとして知られる(株)フォート・キシモトの岸本剛さんに、スポーツカメラマンというお仕事について伺いました。      

岸本 剛さん from JAPAN
 (05.08.11 

僕は基本的に人が大好きで、旅の中とかで人と接してそこから生まれるものにとても魅力を感じるんです。若い頃はスポーツではなくドキュメントものを撮っていたんですが、人と接するという意味ではドキュメントもスポーツも一緒なんだと気づいたんです。スポーツのバックグラウンドである、選手のプライベートな部分も盛り込みながら表現するのが僕の理想の取材の形ですね。
 スポーツを撮り始めたのは、高校卒業後の1990年ワールドカップの時からなので、今で14年目ぐらいです。そこからずっとスペインを始めとする様々な国を転々として、日本に戻ってきたのが2004年の12月。そこで初めて拠点を日本に置いたんです。
一番好きなスポーツはサッカーです。昔は僕もサッカーやってましたよ。インターハイも2回出ました。・・・Bチームですけどね(笑)。けど、サッカーは実は撮りたくないんです。できれば観客席でじっくり見たいほうですね。僕、すごいゴールの時とかは南米のカメラマンとかと一緒で、思わず「ゴォーール!!」って叫んでバンザイしちゃうんですよ。だからボールの入った瞬間の写真ていうのがなかなかない(笑)。他のスポーツのほうが集中して撮りやすかったりします。
 例えばサッカーの場合だと、もちろん試合の中でいいプレーシーンや面白い表情を探して写すことも大事ですけど、僕はどっちかっていうと試合の前と後がすごく好きなんです。
試合の始まる前の緊張感だったり、子供達のワクワクした姿だったりとか。だから試合会場にはなるべく早く行くようにしていますが、中に入るのはホイッスルの鳴る20分から30分前ですね。それまではできるだけ外にいて、駅を降りた時点から試合を見に行く人達の気持ちとかを写真に収めたりしています。先日イタリアに送った写真なんかでは、そういった風景の中に日本家屋を絡めたりしました。あと、最近行ってきたバーレーンでは、膝まづいて神様にイスラム教のお祈りを捧げるときに使う小さなマットを、スタジアムの周りの有刺鉄線に被せて乗り越えている人を見つけたんですよ。彼らにとってそれは神聖なもののはずなのに、サッカーを見たいという気持ちにはやっぱり勝てないんだなとわかって、ちょっと嬉しくなりました。プロといってもどういう目を持って撮るのかっていうのは、やっぱりその気持ちにかかってると思うんですよね。構図どうのこうのじゃなくて、いい写真が撮れるっていうのはやっぱりどう感じているかによります。僕最近、長女が生まれたんですけど、娘の写真は、まったくの素人である妻のほうが僕よりもいいものを撮るんですよ。僕にももちろん娘への愛情はありますけど、やっぱりお腹を痛めて生んだ母親のほうがいい写真が撮れるんです。
 印象に残っているサッカー選手ですか?最近でいうとやっぱり4月に取材した福田くんですよね。普通こっちが取材に行ってるんだから、取材する側として食事なんかも払わなきゃいけないのに、福田君が「もう予約しておきました」っていいレストランとかへ連れて行ってくれてご馳走してくれるんですよ。なんていうか、他の人に対しての対応やお礼の言葉といった気遣いがきちんとできる人です。彼は人間としても素晴らしいし、とてもプロフェッショナル。だからこそああいうところで頑張れるんですよ。僕もいろいろな選手に会ってきたけど、やっぱりプロフェッショナルとしての意思を持っている人に惹かれるんですよね。福田君はとてもそれが強い。そして奥様もお子さんも、とても素敵な家族でした。
 これからも、撮影していく選手と少しでも時間を共にすることでその心を受け止めて、彼らにとってプラスになるような、そして自分の納得のいくような写真で彼らの裏舞台を表現していきたいです。
    
 2005年リベルタドーレス杯でチーム史上初の決勝進出を決めたアトレチコ・パラナエンセの影の立役者であるボランチ、コシート選手にインタビューしました。        

チアゴ・コシート from BRAZIL (05.07.20)

-サッカーを始めたきっかけについて教えてください。
 サッカーは小さい頃からストリートや広場でボールを蹴る程度だったのが、11才になった時地元のBATATAES(バタタエス)クラブに入団し本格的にサッカーを始めるようになりました。初めはプロになれるなんて思ってもいなかったんですが、12歳のときにある大会でボタフォゴを破って優勝してしまって、そのときのボタフォゴの監督が僕のことを気に入ってくれたらしく、そのまま引き抜かれてボタフォゴに入団しました。その頃からテレビで見ていたスター選手と同じように大きなスタジアムで試合をしたいなぁと思うようになり、プロになってやろうということを意識し始めていましたね。
 その後は98年にアトレチコ・パラナエンセ、2002年にコリンチャンス、04年グレミオなどのチームを渡り歩き、現在はまたアトレチコ・パラナエンセでプレーをしています。
-サッカーを始めた頃、目標としていた選手は誰ですか?
 目標としていたのは・・・、代表のキャプテンだったドゥンガですね。彼は僕と同じポジションだし、選手としてもキャプテンとしてのリーダーシップや人柄も目標としています。代表でキャプテンをしていた頃は、彼の技術やプレースタイルに国内のメディアからいろんな批判がありました。それでも彼はそういったことを全部はね返してワールドカップで優勝を遂げたんです。そういう精神面の強さは本当に素晴らしいですよね。少しでも彼に近づければいいなあと思います。
-アトレチコPRの中では誰と仲が良いですか?
 僕はチームメイト全員と仲がいいです。でも長年付き合っている本当の親友は日本のFC東京にいるルーカスなんです。彼とはアトレチコ・パラナエンセとコリンチャンスで一緒にプレーをしていたことがあるんです。今でもよく連絡をとりあっていますよ。ルーカスは僕の兄弟のような存在ですね!お互いの結婚式の仲人も務めたほどです。

-日本や日本サッカーについて、どんなイメージがありますか?
 
日本のサッカーそのものは実はまだ見たことがないですが、コンフェデレーションズカップでブラジル代表といい試合をらしいですね?残念ながら時間がなくて見ることができなかったけど、日本のサッカーについてはルーカスから良く話を聞きます。スピードがあってプレスが速く、選手は戦術面での理解がしっかりしていると言っていたからそういうイメージがあるかな。
日本には行ったことがないけど、今戦っているリベルタドーレス杯で優勝したら日本に行くことができるし、いずれは日本でプレーもしてみたいですね。
- 今までのキャリアの中で良かった時期、悪かった時期をそれぞれ教えてください。
 今までで一番良かった時期は、2001年にアトレチコ・パラナエンセでブラジル全国選手権を制覇した年が一番印象に残っています。逆に翌2002年からコリンチャンスでプレーしたときは選手としてもっとも辛い時期でした。僕はコリンチャンスのファンだから応援するチームでプレーできることほど嬉しいことはなかったのに、この年は怪我に悩まされ続けたんです。打撲や肉離れ、そして骨折と続き、試合からも遠ざかっていた辛い一年でしたね。
 もちろん今現在も、チームの歴史の中で初めてリベルタドーレス杯決勝までくることができたのからそれはそれで良い時期にいるのだと思う。しかもその中で活躍できているのでとてもいい瞬間を過ごせているんじゃないかな。
 リベルタドーレスの第一戦目をアトレチコのホーム、アレーナスタジアムですることができたら僕たちにとって間違いなく有利だったでしょうね。でもそれはスタジアムの収容人数の問題で不可能になってしまった。決勝第一戦の引分けという結果と、第二戦が7万人を超すサンパウロファンが詰め掛けるアウェーゲームであることを考えれば明らかに僕たちにとって不利ではあるけれど、それらの困難を乗り越えて優勝することができるのなら、今年が僕のサッカー人生のなかでも最もいい一年になると思いますよ。

 2002年にブラジル・サンパウロに移住、現在はサンパウロ州スポーツジャーナリスト協会(ACEESP)に所属し、南米のサッカー情報を日本のメディアへ向け発信していらっしゃる下薗さんに、ブラジルサッカーについてお伺いしました。                

下薗昌記さん from BRAZIL (05.06.21)

-日本の新聞社を辞めて、ブラジルに渡ったきっかけは?
 本格的にサッカーボールを蹴り始めた小学校高学年の頃から、将来は「サッカー王国」ブラジルに住んで憧れの芸術サッカーを身近に見たいと考えていました。選手としては「超5流」だったため、サッカーで身を立てることは夢にも思ったことはなかったのですが、サッカーに関連する仕事に就きたいと、大学ではポルトガル・ブラジル語学科に席を置き、よりブラジルサッカーに傾倒する日々を送っていました。
 -ブラジル、そして南米サッカーの魅力はどんなところですか?
 ブラジルをはじめ、南米各国で年間100試合以上の試合を取材していますが、やはりサッカーの原点、つまり「個の強さ」が南米サッカーの魅力だと思います。戦術的な要素が語られがちな現代サッカーですが、最後にものを言うのはやはり個々の能力と技術ではないでしょうか。
 きらびやかな欧州サッカー界ですが、ほとんどのチームで中心的な役割を担っているのがブラジルやアルゼンチンなどの南米勢。ドリブルのうまさや多彩なフェイント、吸い付くようなトラップなど日本のサッカー界にまだまだ欠けている要素を見られるのが楽しみです。
 また、現在売り出し中のサントスのロビーニョもデビュー当時から見ていますが、「ダイヤの原石」探しも南米サッカーを楽しむポイントです。いずれは欧州で活躍する若手を数年は早く見られるので、日本のファンにも南米に目を向けてもらえれば、と思うのですが。
  -ブラジルサッカー界、期待の若手選手を教えて下さい。
 2002年に鮮烈な登場を果たしたロビーニョは手厳しいブラジルメディアや評論家も「天才」と手放しの賛辞を送る国内最高のFWです。デビューイヤーでは単なるドリブラーに過ぎなかった彼ですが、年々シュート力とパスワークに磨きを欠け、総合力の高いFWに成長。来期からはスペインのレアル・マドリー入りが有力視されていますが、決して期待は裏切らないと思います。
 また、クルゼイロで売り出し中のFWフレッジや名門グレミオで17歳ながら攻撃の中心を担ったアンデルソンら数々の若手にも要注目です。
  -どうして、ブラジルからはこれだけ若手が出てくるのでしょうか?
 激しすぎるほどの活発な新陳代謝がクラッキ(名手)を生む秘訣だと思います。CBF(ブラジルサッカー連盟)のデータによると昨年一年間だけで、約850人の選手が国外移籍しています。にも関わらず国内リーグのレベルは落ちないのは、次から次へと現れる若手が移籍した選手の穴を補ってくれるからです。いくら才能があっても選手を鍛えるのはやはり実践の場。日 本サッカーも学ぶべき点ではないでしょうか。
 -日本は世界の一流国の仲間入りできるでしょうか?
 南米各国のサッカー関係者が一様に口を揃えて評価するのが日本人の「速さ」と「規律の高さ」です。こうした特長を生かしながら、欧州でも南米でもない独自のスタイルを確立できれば、将来的にはトップクラスの仲間入りを果たせると思っています。

 

今回は、パラグアイリーグの監督をしているロランド・チラベルトさんのインタビューです。元パラグアイ代表GKのホセ・ルイス・チラベルトのお兄さんでもあるロランドさんはU-20パラグアイ代表を率いて2003年のワールドユースにも出場したことのある、素晴らしい実績を持つ監督です。2002年には静岡のSBS杯に出場するため日本も訪れています。
ロランド・チラベルト監督 from PARAGUAY (05.06.02)
-チームの指揮を執る際に心がけているのはどんなことですか?
まず何よりもピッチ内、そしてピッチの外での規律です。サッカー選手が成功するには100%のプロ意識を持ち、規律を守って誠実にトレーニングに取り組むことが大事です。
-ここ10年間のあいだにパラグアイサッカーが最も変わったのはどんなところですか?
以前に比べると国内リーグのレベルが高くなりました。各クラブが施設面を整備する努力を行なってきたことで、より質のいいサッカーを披露することができるようになりました。また高い才能を持った選手も現れており、こういった選手達の経済的な面をクラブがしっかりと支えることで国内リーグはどんどん充実していくと思います。
-パラグアイ代表の将来をどう見ていますか?
パラグアイ代表は世代交代の時期にさしかかっています。これまで長いあいだ活躍してきたベテラン選手たちの多くは南米予選やワールドカップといった舞台でプレーを続けることが厳しくなってきています。パラグアイには彼らの代わりとなり得る若い選手達がたくさんいると思います。現在の代表のレベルは決して悪くありません。次のワールドカップに行ける可能性も高いでしょう。国内リーグのレベルが高くなったことでパラグアイ代表にも明るい未来が待っていると思います。
-将来パラグアイ代表入りしそうな有望な若手選手を何人か教えてください。
私が2年間率いたU-20でプレーしていたMFフリオ・ドス・サントス(パラグアイ/セロ・ポルテーニョ)やエドガル・バレート(オランダ/NEC)、ダンテ・ロペス(パラグアイ/ナシオナル)、そしてビクトル・アエド(トイツ/ウェルダー・ブレーメン)などはすでにA代表に招集されたこともある将来性のある選手です。こういった選手達がパラグアイ代表の重要な柱となっていくことでしょう。
-監督としてのキャリアの中で一番心に残っているのは?
やはりアラブ首長国連邦で行なわれたワールドユースに出場できたことです。監督なら誰でも一度は夢見る大会ですよね。
-ワールドユースでの体験について聞かせてください。
素晴らしい経験になりました。世界大会に出るということは最高のレベルに達したということを意味しますし、祖国の人々もチームの活躍に大きな期待を寄せてくれます。対戦する相手もトップクラスの国ばかりなので、モチベーションもとても上がります。そしてあの大会でパラグアイは経済的にずっと豊かな国々と対等に戦い、ドイツとの試合では初めて勝利を手にすることで歴史を塗り替えたのです。最終的に決勝に進んだスペインには1-0で負けましたが、その試合の内容はメディアの報道でも高い評価を受けました。私はパラグアイ代表があの大会で残した結果にはとても満足しています。
-2002年のSBS杯で来日した際の日本のサッカーの印象は?
日本のサッカーは今いい選手が多く、レベルもとても高いと思います。SBS杯で対戦した若い日本の選手達はダイナミックでテクニックに優れていました。戦術面でも日本はとても進歩したと思います。

 

 

 このたび、私ヤマナが執筆いたしましたブラジルフットサルについての特集記事が5/12発売のフットサルダイジェストに掲載されました!そのかなり濃い内容をご覧頂ければうっすらご想像頂けると思うのですが、そりゃもう並大抵の仕事じゃありませんでした・・・。
FUTSAL DIGEST発売 by ヤマナ(05.05.17)
 今回のご依頼を頂いたのは去年の11月末。「20P~26Pを予定」というメールを読んだ私は最初、てっきりページ数7というお話だと思い込んだのですが、その後の確認でページ数自体が20~26、よって文字数や写真数もそれまで自分がこなしてきたことのある範囲を遥か~に上回る企画だと知ったときには、正直・・・ゾッとしました。
  自分に果たしてできるのか、自分がやっていいものだろうかというプレッシャーと戦いつつ、まずはそれまであまりつきあいのなかったブラジル、アルゼンチンそしてパラグアイのフットサル専門の現地記者を見つけ出すべく奔走しました。特にブラジルでは最初、とてつもなくタチの悪い人にひっかかってしまい、ゴタゴタの挙句に脅迫までされるという始末(幸い、その後まともな記者になんとか辿り着くことができましたが)。そして4ヶ月間ものあいだ、送られてくる情報をもとに記事を書き、足りない部分は私立探偵ばりに執拗に調べ上げ、提出後に状況が変わればさらに訂正する、といった地道な作業を繰り返しなんとか無事発売に至りました。おかげで私自身とてもいい勉強になりました。
   ブラジルフットサルは、180試合以上も行なわれるというその国内リーグのスケールの大きさと浸透度の深さはもちろんのこと、海外で活躍する選手達の数も多く、昨年の世界選手権では優勝を逃してしまったけれど、実際のところはブラジルが世界のフットサルを陰で動かしているといっても過言ではないんだなあとつくづく感じました。そしてお隣のアルゼンチンやパラグアイでも状況は似ているのかと思いきや、こちらのほうではフットサルはけっこうつらい立場に置かれているんですね。アルゼンチンではバビーフット、パラグアイではサロンフットボールという、フットサルに似ているんだけれども微妙にルールの違うふたつのスポーツが盛んに行なわれていて、FIFAフットサルと複雑に対立しています。関係者や記者から聞くそういった現地の生の事情はとても興味深いものでした・・・。また、日本のカリスマフットサルプレーヤーとして知られる甲斐修侍さんに伺ったお話もとても印象に残っています。
 最近は書店に並んでいるフットサルダイジェストを見かける度に、こっそり目立つ位置に移動させたりなんかしながら、これまで味わったことのないしみじみとした生みの親の気持ちに浸っております。今回、果敢にもこのお仕事をヤマナに任せて下さった編集部の大下さん、そして取材にご協力頂いた沢山の方々に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。


今回は、元パラグアイ代表の右サイドバックで2003年にはガンバ大阪にも所属していたチキアルセことフランシスコ・アルセ選手のインタビューです。アルセ選手は1995年から2003年の間にブラジルのグレミオとパルメイラスに所属し、ブラジル全国選手権、州選手権での優勝や2度のリベルタドーレス杯出場に貢献した輝かしい経歴の持ち主として有名です。
フランシスコ・アルセ選手 from PARAGUAY  VOL,1(05.04.16), VOL.2 (05.04.25)
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サッカーを始めたのは何才のときですか?どの時期が一番思い出に残っていますか?
プレーを始めたのは15才の時です。ブラジルで過ごした23才から31才までの8年間は素晴らしかったです。グレミオとパルメイラスというふたつの偉大なクラブの一番いい時期に入団し、それぞれでリベルタドーレス杯優勝という大きなタイトルの獲得に貢献することができました。
- パラグアイサッカーの特長を教えてください。
パラグアイサッカーの特長はマーキング力とプレーの激しさです。ロングボールも多いですが、これはコンディションのいいグラウンドが少なかった昔の名残ですね。空中戦にも強く、攻守の両方で活かされています。
- パラグアイサッカーのいい所、悪い所を教えてください。
パラグアイサッカーのいい所は新しい選手が次々と現れているというところです。レベルの高い下部組織を持っているクラブでは、トップチームでプレーできるレベルの若い選手達を育て上げています。悪いところは国内リーグの運営がきちんとできていないので、急に日時や場所が変更されたりすることが多いという点です。でもこれは少しずつ良くなってはきています。あとピッチコンディションやリーグ戦での観客数の少なさも改善されなければいけないところですね。
- パラグアイサッカーがここ数年で成長した部分はどこですか?
海外でプレーする選手の数がすごく増えましたね。前はこれほど多くなかったです。パラグアイ代表が2大会連続でワールドカップに出場し、世界に知られるようになったことで、こういったきっかけが増えたのだと思います。
-チキにとってのパラグアイサッカーのアイドルは誰ですか?
小さい頃はロメリート(フリオ・セサル・ロメーロ MF)と、コロンビアで長年プレーしてセロ・ポルテーニョで現役の最後の年をプレーしたフアン・マヌエル・バタグリア(FW)が大好きでした。
- 日本やブラジルのサッカーの印象を教えて下さい。
ブラジルのサッカーではマーキングよりもテクニックがほとんどです。日本のサッカーは動きが早く、ボールを追うことがとても重要とされているので、選手全員でピッチ内を動き回ってマーキングを行ないます。切り返しもとてもうまいですね。それと日本人選手がトレーニングなどでの規律をとても大事にしているところが印象に残っています。
-国によってトレーニング方法などに違いはありますか?
そんなに差はありませんが、日本のトレーニングはけっこうハードでした。南米の国でも内容はほぼ同じですが、日本ほどの量をこなすことはありません。
- 対戦相手で印象に残っている選手は誰ですか?どんな特長を持っている選手でしたか?
ブラジルにいた頃はスター選手と対戦する機会がとても多かったです。今でも現役でプレーを続けているエジヴェウトンという選手はとてもやっかいな選手でした。普通、フォワードの選手はサイドバックをマークすることはありませんが、彼はとてもうまくその仕事をこなしていました。僕が攻撃に出る時にも彼が一緒についてくるんです。攻撃も守りもとても上手な選手でしたね。
- 試合ではどんなことに気をつけていましたか?
相手選手の特長によっても変わってきますが、まずはよく研究することです。特に自分がプレーしているポジション(サイドバック)ではスピードやテクニックに優れた選手と当たることが多いので、試合のときに慌てないように、チームスタッフに協力してもらって相手チームのビデオなどを事前によく見ていました。
- パラグアイサッカーで成功するにはどんな条件を備えていることが必要ですか?
テクニックを持っていることももちろんですが、サッカーではテクニックよりもまずフィジカルが大事です。そのためにも日々のトレーニングに真面目に取り組んで、私生活にも気をつけて身体のケアをきちんと行なうことが必要です。これはパラグアイサッカーだけでなく世界のどこの国でも同じだと思います。

今年で34才を迎えるチキアルセ。代表からは引退しましたが、パラグアイ国内リーグの強豪セロ・ポルテーニョでは今でも現役でプレーを続けています。このままずっと活躍していってほしいですね!

 

今回はパラグアイのサッカー記者、ロレンソ・ビジャルバさんにお話を伺いました。17年前にサッカーの試合中継キャスターとしてキャリアをスタートさせたロレンソさんはいくつかのラジオ局を経た後、10年前から新聞記者としてお仕事されています。ちなみに好きなチームはオリンピアだとか・・・。
ロレンソ・ビジャルバ氏 from PARAGUAY (05.04.02)
- パラグアイサッカーの特長は?
パラグアイのサッカーはとても激しく、力強いプレースタイルが特長です。ブラジルのような魅せるサッカーではありませんが、テクニックに優れた選手はパラグアイにもたくさんいます。
- パラグアイ代表でのキープレーヤーは?
とても1人だけに絞ることはできませんね。DFガマーラ(イタリア・インテル)、MFパレデス(イタリア・レッジーナ)、そしてFWカルドーソ(メキシコ・トルーカ)の3人が代表で最も重要な選手達だと思います。何年もの間パラグアイ代表のために全てを捧げ、パラグアイの国民に喜びを与えてきました。昨年のアテネの銀メダルも、ガマーラとカルドーソがU-23代表という若いチームを率先したからこそ勝ち取れたのです。
-先日行なわれた南米予選のエクアドル戦(5-2負け)とチリ戦(2-0勝ち)はどうでしたか?
エクアドル戦ではスピードと勢いのあるいいスタートを切ったのですが、その後ペースダウンしてしまいました。中盤での守備の甘さ、そしてキーパーのミス(特にエクアドルの先制時)などが、調子の良かった前線の勢いを消してしまったのです。後半も相手に簡単に守備を破られ、いくつもの得点を許してしまいました。チリ戦ではルイス監督が、普段は使わない3-5-2システムを使って賭けに出たのですが、これが良かったと思います。パラグアイ代表はエクアドル戦での厳しい結果から見事に立ち直り、いつものホームでの強さを見せてくれました。
- パラグアイ代表は2006年のワールドカップへ出場できるでしょうか?
可能性は高いと思います。パラグアイ代表では世代交代が始まりました。もうチラベルトやアルセ、アクーニャ、カンポス、アジャーラといったかつてのスター選手は姿を消しました。確かにその空白はとても大きいですが、新しく入ってきた選手達も、まだ安定はしていないながらも結果を残しています。パラグアイ代表はその貪欲さを武器に、きっとドイツまで行ってくれると思います。
-最後に、日本人プレーヤーはパラグアイサッカーに触れることでどんなことを吸収できるでしょうか?
パラグアイの選手はピッチ内で自分の持つ全てを出し切ります。そして最後の最後で不利な結果をも覆すことのできる非常に強いメンタリティーを持っています。そういった面を間近で感じるのはとてもいいことではないでしょうか。

 

今回はブラジルで活動するFIFA公式代理人のタデウ・デ・オリベイラ氏に、そのお仕事についてお話を聞きました。
タデウ・デ・オリベイラ氏 from BRAZIL(05.03.14)
-代理人になってどのくらいですか?
11年です。その前はアンブロのブラジル支社で営業部門の責任者として仕事していました。
-ブラジルのどこに事務所を構えていらっしゃるのですか?
ブラジルの南にあるリオ・グランジ・ド・スル州のポルト・アレグレに、従業員10名程度の事務所を持っています。
-どういったクラブチームとお仕事されているんですか?
皆さんご存知のグレミオやインテルナシオナル、ジュベントゥージといったリオ・グランジ・ド・スル州の有力クラブ、そしてサンパウロやリオ・デ・ジャネイロのクラブにも選手を紹介しています。
-どんなスケジュールで動いていらっしゃるのですか?
基本的にブラジル1部や2部の選手を中心に仕事をしています。ヨーロッパやアジアのリーグの開幕時期に合わせて売り込みのプランを立てます。クラブ側がその選手を研究できるようにプロフィールやビデオを作成して渡し、先方が選手を気に入った場合は契約の交渉に入ります。
-代理人業をしていて大変なことは何ですか?
移籍交渉の際に、選手はもちろんのこと、移籍元や移籍先のクラブ、一緒に仕事をしている他の代理人といった様々な関係者の同意をとりつけなければいけないところでしょうか。また選手が移籍先のクラブにちゃんと適応できるかどうかを見極めるのも難しいですね。国内移籍もそうですが、特に海外移籍の場合は、これはとても大切な点です。
-どんな時にやりがいを感じますか?
移籍先のクラブが、紹介した選手のプレーと人間性の両方に満足してくれた時がやはり一番嬉しいですね。

 

1月にフランスを旅行してきた廣山選手(ちなみに愛犬パブロはお留守番)に、その時のお話を聞きました。
廣山選手 in FRANCE (05.02.09)
-どうしてフランスに行こうと思われたんですか?
モンペリエは好きな町なのでずっと訪ねたかったし、友人にも会いたいと思っていたので行くことにしました。
-フランスのどこを回ってきましたか?
1週間ほどかけて、海沿いのリゾート地パラバスや山のあるピック・サン・クルーなどモンペリエ近郊の町を旅してきました。
-久しぶりのフランスはどうでしたか?
自分の町に帰ってきたような気分で、なんだかとても懐かしく感じましたね。 
-フランスでサッカーは見に行きましたか?
友人がプレーする5部リーグの試合と、別の友人の子供が所属する18才以下のチームの紅白戦を観戦してきました。
-今回の旅行で一番思い出に残ったのは?
食事がとてもおいしかったことです!普通にカフェで出てくるパンやコーヒーなんかも最高でしたね。 
フランスリーグでのプレーをきっかけに、南フランスの大ファンになった廣山選手。廣山選手が自ら管理する Nozomi-webには、今回の旅の写真やコラムが掲載されています。


初めまして、プラネットスタッフのヤマナです。私は「以前パラグアイに住んでいた+パラグアイのサッカー代表の通訳をする機会が何度かあった」ということで、とにかくパラグアイサッカーの大ファン!でも最近はいいニュースがないんですね・・・
FUTBOL PARAGUAYO! by ヤマナ(05.01.27)
5回連続出場を目指していたワールドユースの南米予選ではU-20代表がまさかの予選敗退・・・。パラグアイ代表は年代や大会に関係なく、「予選」というとかならず最後までハラハラさせてくれます。守備とカウンター中心なので派手な試合どころか引分けばかり。でもなんだかんだいいながら最後はギリギリで通過していく、というのがいつものパターンなので今回も大丈夫と思っていたのですが・・・残念です。ブラジル、ウルグアイといった強豪との最初の2試合を引分けに持ち込んで、そこまでは計算通りといった感じだったんですが、その後チリに負けてしまったのが痛かったですね・・・。最後のエクアドルには、珍しく4-2というスコアで勝ったのですが、すでに自力での通過はできない状況になっていました。エクアドルがチリに、ブラジルがウルグアイにそれぞれ勝利してもらって3位通過となることを祈っていたパラグアイでしたが・・・、結果はエクアドル1-5チリ、ブラジル0-0ウルグアイ(苦笑)。逆にここまで正反対のほうがあきらめもつくというもんですね。という訳で今年のワールドユースに心躍らせることはないでしょう・・・。望みをかけているのは昨年日本にもやってきたU-17代表。大物になりそうな予感のするFWやトップ下がいるので、是非4月の南米予選に期待したいところです!



この度、サッカープラネットのホームページがリニューアルオープンいたしました。このコーナーでは、サッカープラネット所属の選手秘話はもちろんのこと、私達スタッフの裏ネタまで、サッカーに関する様々な話題を掲載していく予定です。お楽しみに~!というわけで、さっそく1回目はバロンの近況についてです!
Valentina Birthday!(04.11.11)

11月14日、バロンの自宅で愛娘バレンチーナの4才のバースデーパーティーが開かれました。バロン家は4人家族。バロンは奥さんのカロリーナ、お姉ちゃんのバレンチーナ、そして妹のビクトリアの美女3名に囲まれた生活を送っているのです。アントラーズのチームメイトや廣山選手などたくさんの友人が集まったバロンのお家はカラフルな風船で飾りつけられ、主役のバレンチーナは、な、なんと大好きな白雪姫の衣装で優雅に登場! 山のように積まれたキティーちゃんやアンパンマンのプレゼントを片っ端から開けては歓声をあげていました。この日はけっこう冷え込んだのですが、優しいバロンは庭で煙に包まれながらバーベキューをせっせと焼いてゲストをおもてなし。家の中では、日本に遊びに来ているバロンのとても陽気なお義父さんがブラジルの音楽に合わせてノリノリで踊りながらみんなを笑わせてくれました。結局朝の11時に始まったパーティーは夜が更けてもまだ続き(!)、ブラジル流「フェスタ」を大人も子供も充分楽しんだのでした。



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